3月の青年会「ヨブ記を読もう(第18回)」の報告 

3月15日(日)礼拝終了後、二階集会室にて開催しました。出席者9名。 

初めに参加者が集まり始めたところで、ギターと電子オルガンの伴奏でWe are one in the Spirit とAmazing Graceを歌い、参加者が集まったところで11時45分開会の祈祷を行い、そのあと、ヨブ記31章について並木浩一著「ヨブ記を読もう」の該当箇所のところを解説しました(添付)。
ヨブが自分を正当化することに集中していることをエリフが32章で問題としていることに関連して、イエスが神の子でありながら他者の罪のために身を捧げたことによって復活の希望を示したというキリスト教につながっていくのではないだろうか、という議論も。12時40分黙祷をもって終了。 

次回4月19日(日)礼拝後二階の集会室で開催します。
ヨブ記32〜37章、並木浩一著「ヨブ記を読もう」
第7章「ヨブよ、注意して私に聞け、沈黙せよ、私が語る」(P.163〜175)。 

⁂青年会は毎月第3日曜日、主日礼拝の後に会堂にて30 分~1時間ほど。誰でも参加自由です⁂

ヨブ記を読もう 第18回(2026/3/15) 
潔白の誓い(31章) 

北原和夫牧師

ヨブは、29章では神が過去においてヨブを祝福してくれたことを述べ、30章では一転して現在の悲惨な状況を確認する。ヨブを見守り支えた神(29:2)は凶暴な神に変わってしまった(30:21)。ヨブはこれを不当と考えて、31章では自らの無実を訴えるのである。 

1~4節では「私は自分の目と契約を結んだ。乙女を物色しないことを。」ヨブは律法主義に堕するのではなく、自分の目(良心)と誓約をする。 

5~6節では、「もしわたしが虚偽(虚しいこと)に歩み策略(欺きを意図すること)に向かって急ぐとするならば、神が公正に見て欲しい。そんなことは絶対しない。 

9~12節で、自分が人妻に惹かれたならば、自分の妻が不名誉な労働に服すという不名誉な状況になっても仕方がない(もちろんそんなことは絶対しない)。 

13~15節で、使用人との関係において、使用人たちのクレームに対して全面的に否定したことはあったろうか。使用人たちが神に訴えたら神は裁判官として私を審判にかけるだろう。ヨブを創造したのも、使用人を創造のも神なのだ(近代の人権思想) 

16〜18節では、ヨブは寡婦や孤児の支援をずっとしてきた、という。孤児たちは自分を父と感じ、私が生まれてから今日まで、寡婦を導いてきたのだ、と自負する。  

19~20節では、着るものがない人たちがいたなら、ヨブは着せて腰を祝福して、また温めてきたのだ。 

21~23節では、孤児が律法に反することをおこなった故に自分自身もしくは自分の支援者がその孤児に痛手を追わせることがあったなら、自分の腕が折り砕かれることになっても構わない。神からの災禍こそが恐るべきことなのだ。 

26~28節では、天の森羅万象にうっとりしてしまうことがあれば、被造物の神格化につながりかねないし、創造主のことを忘れてしまいかねない。 

29~30節では、敵対する人に対して呪ってはならない。世界の非呪術化(つまり神中心)は旧約とキリスト教の根本である。 

31~32節では、アブラハムが客人(実は天使)を歓待したこと(創世記18章)を念頭に述べられている。わが戸口は旅する人々に開かれている。」まさに教会の公同性(共同体)である。33~34節では、罪科を隠蔽して弁明を拒むことはしてこなかった。信仰共同体の根本原則である。 35~37節では、私はここまでの弁明に署名したのだ。神よ、応えてください。 38~40節では、ヨブは大地からも搾取をしなかった。大地を休ませるという決まりが律法の中にあったのだ。最後に大地を引き合いに出したところに、他人が自分を英雄視すること避けたかったのではないだろうか。 

この後、32~37章では「エリフの弁論」が挿入される。エリフはヨブが自らの正しさを神に優先していること、そして、三人の友人たちがヨブの誤りを指摘できないことに対して怒り、最後に神の不可知性、神への無条件服従を強調する。37:21「全能者は、我々が見出すことのできないかた。力と公正において卓越し、義に満ちて、貶めることのない方。」そのあとに、主(ヤハウェ)がヨブに応答する。 

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