7月の青年会「ヨブ記を読もう 第13回」
7月20日(日)礼拝終了後 会堂にて開催しました。
オルガンとギターの伴奏によって、Amazing Graceと讃美歌21の417番「聖霊によりて我ら一つ(We are one in the Spirit)」を歌いました。
「ヨブ記を読もう」のヨブ記22〜24章のところを解説し、その後は懇談をしました。懇談の中で、まず、神がすべてを決めておられる「歴史」において、歴史の転換点としての「日」の考え方がとても興味深く感じられました。またヨブ記に出てくる「暗闇」、「闇」とは何を表すのかについても議論しました。特にヨブ記10章の22節には「暗闇が闇のように輝く」と書かれてありますが、「輝く暗闇」とはなんだろうか。真っ黒な闇が輝くという表現は闇の現実性・存在感ということなのか。ちなみに、新共同訳では「その国の暗さは全くの闇であり死の闇に閉ざされ、秩序はなく闇がその光となるほどなのだ。」と訳されていて、だいぶ雰囲気が異なります。日本語の漆塗りのなかで、「漆黒」と呼ばれるものは確かに黒に輝いている感じであり、黒の存在感を感じさせます。フランス語のTOB(Traduction Oecuménique de la Bible)では「闇が明晰さを示す」という訳になっていて、闇の存在感を表しているように思われます。
また先回紹介した心理学者ユング著「ヨブへの答え」(みすず書房、1988年)についての感想を述べたかたもおられました。ユングは神とヨブの精神分析を並列的に行なっているようだが、神は本来人の理解を超えたもので並列には論じられないものなのではないだろうか、といった意見も。たしかに、ヨブ自身は、神と人との隔たりを理解しつつも神に訴えることによって神と繋がろうとしているのです。
⁂青年会は毎月第3日曜日、主日礼拝の後に会堂にて30 分~1時間ほど。誰でも参加自由です⁂
ヨブ記を読もう 第13回(2025/07/20)
「わが息の絶えるまで、私は自己の高潔を主張する(1)」
並木浩一「ヨブ記を読もう」(日本キリスト教団出版局、2024 年)p.111~123
北原和夫牧師
ヨブは第六回の弁論(21:34)で、「どうして、私を空しく慰めるのか、あなたがたの答弁は偽りのままだ。」と決めつけたことによって、友人たちとの対話は終わるはずでしたが、エリファズは「あなた(ヨブ)が正しいとしても、神に訴えること自体が無意味なのだ」と言います(22:1~4)。さらに、ヨブ自身が正しいのか、と非難の言葉を述べます。寡婦たち、孤児たちを虐待したのではないか。神が高いところにいることを本当に分かっているのか、とまで言います。しかしながら、最後に神と協調[1]して平安を得なさい、と言って友情を表そうとするのです。
22章のエリファズの理不尽な言葉にヨブは23~24章で反論します。23:5~7で「神は大きな存在だから私とまともに論争しないかもしれない。でも私に気づいて欲しいのだ。」23:13~17で「神は唯一の神であり、神は意のままに行動することも知っている。それが私に取って恐怖でもある。でも私は沈黙しない。」
友人たちが「神は邪悪な者たちを正しく裁く」(エリファズ 22:18~20、ツオファル 20:2~8、ビルダト18:1~21)というけれど、一体その裁きの日々[2]を我々が目撃できないでいるではないか(24:1~2)。そして、現実の社会は不正に満ちている(24:5~12)。特に24:8~9は命の尊厳(現代で言えば、人権侵害)の極みです。この世には神の公義があるのか、神は公義なのか。これがヨブの究極の問いであり、因果応報などというものではなく、全くの闇[3]なのだ。
ヨブ記を読んできて思うに、厳しい状況の中にあって、さらに神から応答もないという状況において、神の理不尽について、自分の運命だけでなく、広く世における理不尽な現実を直視していることである。人間の物差しでの「因果応報」が機能していないことを直視しているのである。
[1]「協調」と訳されている原語は、もともとはof use, of service, of benefit,という意味であるが、22:21ではfamiliar with, known intimatelyという意味を持つ( The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon (2012) p.698 ) 新共同訳では「和解」と訳されている。ヨブ記15:3、22:2、35:3、34:9などでは、「役に立つ」という意味で用いられている
[2]yôm 「日」を表す言葉であるが、神が「時」を支配すると考えられていた。ヨブ記において他に7:6、8:9、10:20、17:1、17:11など。詩編31:16「わたしにふさわしいときに、御手をもって、・・・助け出してください。」 詩編39:5も参照。
[3] salmawet 死の陰、暗黙を表す。地下の陰府の世界を表す。10:20~22において、ヨブは悲観して「暗黒の地に行く前にくつろぎたい。・・・闇、暗闇のように暗い地、秩序なき地、その暗闇が闇のように輝くところへと赴く前に。」
次回は8月17日(日)礼拝終了後 会堂にて、ヨブ記25〜27章について並木浩一著「ヨブ記を読もう」(日本基督教団出版局、2024年) の p.123-131から学びます。
アーカイブをご覧になりたい方は↓の「青年会のお知らせ」をクリックして下さい。 北原和夫牧師のお話の原稿もお読みいただけます。