12月の青年会
12月15日(日)礼拝終了後二階の集会室にて開催しました。
Amazing Graceと讃美歌21の62番「天にいます私たちの父」(カリプソ調)をギターと電子オルガンの伴奏によって歌いました。そして開会祈祷。休会となった11月の例会で読む予定だった「ヨブ記を読もう」のヨブ記6〜7章のところを解説し、また「メサイアの終末論」(12月22日の礼拝後の「ハレルヤコーラス」の準備を兼ねて)のお話をし、その後は教会員有志の手づくりによるサンドウィッチを頂きながら歓談。青年会のクリスマスとなりました。
次回は2025年1月19日(日)礼拝終了後会堂にて、ヨブ記8〜10章について並木浩一著「ヨブ記を読もう」(日本基督教団出版局、2024年)のp.67-73から学びます。
*北原和夫牧師の「ヨブ記を読もう第七回」と「メサイアの終末論」のお話原稿は下記に掲載しております。
⁂青年会は毎月第3日曜日、主日礼拝の後に会堂にて30 分~1時間ほど。誰でも参加自由です⁂
ヨブ記を読もう第七回
「私の憤りをしっかりと量ってほしい」
(ヨブ記6〜7章)
並⽊浩⼀「ヨブ記を読もう」(⽇本キリスト教団出版局、2024 年)p.58-66
北原和夫 牧師
4〜5章において友⼈エリファズは、神の応報原理は貫徹しているのであって、苦難を招いた原因はヨブ⾃⾝にあるのだから、理不尽な状態は神の訓戒であると受け⽌めて謙虚になれ、と⾔います。
これに対するヨブの弁論が始まります。6:1~13 で「ああ、私の憤りがしっかりと量られ、私の災いも⼀緒に秤に載せてもらえれば、今、それが海の砂よりも重いことを⽰せるのだ」と苦しみの⼤きさを訴える。「神の⽮の痛みが突き刺さり、神の威嚇が私を包囲している。でも神は沈黙している。神が私を打ち砕くことを良しとし、私を断って下されば、私はまだ慰められる。」神の沈黙の中での苦しみによって、ただひたすら耐えなければならないのだろうか。ヨブは⼀⽅において「応報」を信じている。しかし「応報」は原則であって神は⼈間が考える応報には従わないこともありうる。揺れ動くなかでヨブは神に訴える。「私は待たねばならないのか。神はあくまで正義の神であるにも拘らすなぜ⾃分を攻撃するのか。」と。
6:14~21で友への失望を述べる。「わが兄弟たちはワディ(⾕川)のように欺くのだ。流れが消えた後の空⾕のように。」(6:15)これは、暑い季節にワディには⽔があるはずだと信じてやってきた隊商が⽬にしたのは乾き切った⾕であったという落胆の経験を想起している。
6:22~27 では「誠意を⽋いた叱責はするな」と友に⾔い、6:28~30 では「私に正⾯から向き合ってほしい」と⾔う。
7章では、7:1~5では「苦役に服している者のように、私には空虚な⽉⽇が相続分とされ、苦難の夜が割り当てられている」と苦しみの⽇々を述べている。7:6~10では、「神が私を顧みるときには私の命は尽きている」という危機感を述べている。7:11~16では「神に訴えているのに応答がない。その空虚には耐えられない。命を奪って欲しい」と訴える。7:17~21では「神はわたしを育ててきたのに今は監視して攻撃の的にしているのか」と訴える。
こうして、神が苦しみを与えていることに対して神に訴えても、神の沈黙が続いている。そして⾃らの寿命が尽きる⽇が迫っていることを⾃覚する。神の沈黙ほどの苦しみはない。私は詩編88編14〜17節の嘆きを思い出します。
主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます。主よ、なぜわたしの魂を突き放しなぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。わたしは若い時から苦しんで来ました。今は、死を待ちます。あなたの怒りを⾝に負い、絶えようとしています。
「メサイアの終末論」
北原和夫 牧師
ヘンデルの「メサイア」は序曲から始まって救い主の預⾔(主としてイザヤ書の預⾔)、そして⽥園的な間奏曲に始まる主の御降誕、主は⽺飼い、主の招きで第⼀部が終わる。第⼆部は主の受難、⼗字架上の死、復活、昇天、「天に⽗と共に座したもう、ハレルヤ」で終わる。第三部は終末のときに再臨される主を待ち望む「終末論」が展開されている。ここはコリントの使徒への⼿紙⼀15章とヨハネ黙⽰録5章をメッセージとするに内容となっている。
ハレルヤ・コーラス
Hallelujah! For Lord God omnipotent reigneth.
わたしはまた、⼤群衆の声のようなもの、多くの⽔のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう⾔うのを聞いた。「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。」(黙⽰録19:6)
The kingdom of this world is become the Kingdom of our Lord and of His Christ; and He shall reign forever and ever.
さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな⼤声があって、こう⾔った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」(黙⽰録11:15)
King of Kings and Lord of Lords.
この⽅の⾐と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。(黙⽰録19:16)
第三部の冒頭は「I know that my Redeemer liveth・・・」のイエスの⽣涯の低くせられた姿をヨブ記を引⽤して語るソプラノ・ソロが響く。そして続く合唱が、イエスの復活によって死者の復活の希望が与えられたことを歌う(コリントの信徒への⼿紙⼀15:21~22)。その後はコリントの信徒への⼿紙⼀15:51~57を⼀気に歌う。
第45曲Behold, I tell you a mystery; We shall not all sleep. But we shall all be changed, in a moment, in the twinkling of an eye, at the last trumpet.
(15:51) わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
(15:52) 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、⼀瞬のうちにです。
第46曲 The trumpet shall sound, and the dead shall be raised incorruptible, and we shall be changed. For this corruptible must put in incorruption and this mortal must put on immortality.
(15:52続き)ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
(15:53) この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
第47 曲Then shall be brought to pass the saying that is written, Death is swallowed up in victory.
(15:54)この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている⾔葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。
第48曲 O death, where is thy sting? O grave, where is thy victory? The sting of death is sin and the strength of sin is the law.
(15:55) 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
(15:56)死のとげは罪であり、罪の⼒は律法です。 (このコリント⼈への⼿紙⼀15:51~55の箇所はブラームス「ドイツレクイエム」第6曲でも歌われている。)
第49曲 But thanks be to God, who giveth us the victory through our Lord Jesus Christ.
(15:57) わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
コリントの信徒への⼿紙⼀15:51~57はパウロの終末論であり、眠りについていたものが終末を告げるラッパの⾳とともに復活す。死ぬべきものが死なないものを着る、という終末の状況。私はこの箇所を読むたびに、すでに⾒送った親しい⼈々と再会するときは、全く同じ姿で、しかし、命溢れる姿で再会できるのだと想う。第50曲はロマ書8:31~33を引⽤して神の取りなしの犠牲としての御⼦イエスを述べ、最後51曲は終末において命を与えられた⼈々による讃美の⼤合唱、そしてアーメン(題52曲)で終わる。
Worthy is the Lamb that was slain and hath redeemed us to God by his blood to receive power and riches and wisdom and strength and honor and glory and blessing. Blessing and honor, glory and power be unto Him sitteth upon the throne and unto the Lamb for ever and ever. Amen.
5:12 天使たちは⼤声でこう⾔った。「屠られた⼩⽺は、/⼒、富、知恵、威⼒、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい⽅です。」
5:13 また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう⾔うのを聞いた。「⽟座に座っておられる⽅と⼩⽺とに、/賛美、誉れ、栄光、そして権⼒が、/世々限りなくありますように。」
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