10月の青年会
10月20日(日)礼拝終了後 会堂にて開催しました。
Amazing Graceをギターとオルガンの伴奏によって歌いました。そして開会祈祷。ヨブ記第4章から始まるヨブとヨブの友人たちとの対論についての概略を並木浩一著「ヨブ記を読もう」(日本基督教団出版局、2024年) p.49-58より学びました。そして最初のエリファズの弁論を、並木浩一訳「ヨブ記」(日本基督教団のホームページで公開)のテキストによって読みました。ヨブはその弁論を受け入れず、6章のヨブの対論へと続きます(次回)。懇談の中で、或る参加者は「理不尽に耐えようとするヨブの状況と現在の中東において痛めつけられている人々の姿とが重なって見えてくる」との感想を述べました。
次回は11月17日(日)礼拝終了後会堂にて、ヨブ記6〜7章について「ヨブ記を読もう」のp.58-66から学びます。
⁂青年会は毎月第3日曜日、主日礼拝の後に会堂にて30 分~1時間ほど。誰でも参加自由です⁂
ヨブ記を読もう第六回
「私の憤りをしっかりと量ってほしい」
(ヨブ記4章ー5章)
並⽊浩⼀「ヨブ記を読もう」(⽇本キリスト教団出版局、2024年)p.49-58
北原和夫牧師
3章のヨブの独白の後、友人たちとの対論が始まる。第一回は4〜14章、第二回は15〜21章、第三回は22〜27章。並木先生の解説では、対論は現代の 我々の論理的対論とは異なり、すぐ反論するのではなく、自分の思うところを述 べる。そこに比喩を用いてイメージを展開する[moral imaginationと呼ぶ手法] (下記文献)
友人たちの主張は、(1)ヨブ自身の「物語」を構成すべきである。(2)神を求める祈りの実践が治療をもたらす。(3)icon narrative(自分の行動の模範となる物語)を信じよ。これに対してヨブの立場は、(1)自分は「物語」によって叙述できるような状況にはなく、夢などに怯えている。(2)祈りではなく、理不尽に対して法的論争を選択する。(3)icon narrative は放棄して自己の物語(「証言的言語」) に向けて歩む。
以下、第一回対論の展開の最初の部分を「ヨブ記註解」に従ってまとめてみる。 エリファズの弁論第一回(4〜5章):友人たちは、苦難を招いた原因はヨブ自身にあり神の応報の原則は正しいと信じた。
4章1〜6節:過去にはヨブは教導する立場であったが、今はヨブ自身が弱り きっている。「あなたの言葉はよろめく者を起こし、かがみ込む者の膝には力を与えてきた。ところが、いざそれが臨むと、あなたは弱り切り、あなたの身に触れるとうろたえる。」友人エリファズは、ヨブがこれまでやってきた弱者への教導(懲らしめ)を誉める。その教導(懲らしめ)が身に起ると、弱りきってしまう。ヨブ自身が不完全であったのではないか、と批判する。
7〜11節:神の応報原理は貫徹するのだ。神の応報が正しいのであり、ヨブ自身に原因があったのだと責める。その応報思想は詩編に見られる。37:25「若いときにも老いた今も、わたしは見ていない。主に従う人が捨てられ子孫がパンを乞うのを。」 また11 節で「神の怒りを買った獅子は滅ぶ。」
12〜21節:エリファズが幻で見た人間の罪性と無力。人間はその造り主と同等になれるはずがない。
5章1〜7節:愚か者は没落する。
8〜18節:悲しむ者を引き上げる神に委 ねよ。
17〜27節:神の懲らしめを受け入れて幸福になれ。
こうして、神が下した理不尽な扱いは、神の訓戒であると受け止めて謙虚になれ。そうすればやがて神の癒しに与るはずだ、とエリファズは述べる。しかし、 ヨブは6章で「神の矢の痛み、神の威嚇に対するわたしの憤りが量られれば、大 きいのだが、神は黙っている。私は待たねばならない。」と反論する。
*並木著「ヨブ記註解」(日本キリスト教団出版会、2021 年、p.144-146)
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