8月の青年会

8月18日(日)礼拝終了後 会堂にて開催しました。
Amazing Graceを皆で歌ってから開会祈祷。ヨブ記(2:11〜13)「ヨブの忍耐とヨブの三人の友だちの同情と慰め」をテーマに、並木浩一著「ヨブ記を読もう」(日本基督教団出版局、2024年) p.39-40より読み解く。さらに「忍耐」をテーマに「ヘブライ人への手紙」における忍耐とヨブの忍耐との対比、地球温暖化、戦争など現代の世界の課題とどう向き合うべきか、また日々の生活の中で感じたことなど自由懇談し、12時半に終了。

⁂青年会は毎月第3日曜日、主日礼拝の後に会堂にて30 分~1時間ほど。誰でも参加自由です⁂

「主が与え、主が取り去りたもう(第四回)」
ヨブ記2:11〜13

並木浩一「ヨブ記を読もう」(日本キリスト教団出版局、2024年)p.39-40
北原和夫牧師
【並木訳ヨブ記2:11-13】ヨブの三人の友が、彼に臨んだこれらすべての災いを耳にして、各自の居所からやって来た。テマンの人エリファズ、シュアハの人ビルダド、ナアマの人ツオファルである。彼らは共に行って彼に同情を表し、彼を慰めることにした。彼らは遠くから目を凝らして見たが、彼がヨブであると識別できないほどであった。彼らは声を挙げて泣き、各自その着物を脱いで、塵を彼らの頭上で天に向けて撒き散らした。彼らは七日七夜、ヨブと一緒に地に座っていたが、彼に話しかける者は一人もいなかった。その苦痛がはなはだしく大きいのを見たからである。

 並木先生の「ヨブ記註解」(日本キリスト教団出版局、2021年)には、ヨブ記をドラマと見立てています。第一幕「ヨブの受苦をめぐる天上と地上での出来事」ナレーション(1:1-5)、第一場(1:6-12)「天上での神とサタンの合意」、第二場(1:13-22)「地上でのヨブの財産と子どもたちの災難」、第三場(2:1-6)「天上での神とサタンの合意」、第四場(2:7-8)「ヨブの皮膚病の苦しみ」、第五場(2:9-10a,b)「ヨブの妻の死を提案をヨブは『神から幸いを受け取るのだから、災いも受け取るべき』と退ける」、ナレーション(2:10c)「ヨブは罪を犯さなかった」
 本日のところは、第二幕「ヨブと三人の友人との対論」(2:11-31:40)という長いドラマの始まりのナレーション(2:11-13)というわけです。ヨブの三人の友人がたちが慰問のために到来するが、ヨブの悲惨な状態をみて沈黙する。そしてやがてヨブが独白して、自分の誕生と創造の取り消しを求める。そこから友人たちとの対論が始まります。
 「フランシスコ会聖書研究所訳注ヨブ記」(中央出版社、1981年)によると、テマン人はエドム地方の人々で知恵者とされていて(エレミヤ書49:7)、エリファズは「神は純金」という意味だそうです。おそらく他の二人を含めて知性豊かな人たちであって、ヨブの良い友人たちだったのでしょう。「着物を脱いで塵を頭上にかける」は悲しみを表す動作です。そしてヨブと七日七夜一緒にいたということ(これは当時の葬儀の慣習だったそうです)によって、ヨブが死に近い状態であることを観た友人たちの同情・悲しみを表すのでしょう。友人たちは神がサタン的に振る舞っていることを知って混乱状態に陥ったのです。一方、ヨブの方は神に対する抗議と神への絶対的信頼との間で、無言にされてしまったのです。

 ちょうど今礼拝説教で、新約聖書「ヘブライ人への手紙」を講解していますが、「忍耐」と訳されている言葉の原語をみると、二つの言葉が使われています。一つはhypomoneという言葉です。これはまさに迫害や重荷を耐え忍ぶということだそうで、10:36と12:1にあり、ひたすら耐えるという感じです。もう一つはmakrothumiaという言葉で、信仰と希望に裏打ちされて忍耐して行動するというのがあります。例えば、6:12は信仰と希望をもって忍耐して行動することの勧めであります。6:15では、アブラハムが約束の成就を根気強く待って旅をしたことを表しています。ヨブの忍耐は?

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