5月の青年会

2023年5月21日礼拝終了後会堂にて開催しました。
お話は北原和夫牧師による「時(とき)の進み方」

⁂青年会は毎月第3日曜日、主日礼拝の後に会堂にて30 分~1時間ほど。誰でも参加自由です⁂

「時(とき)の進み方」 北原和夫牧師

聖書:ローマの信徒への⼿紙 13章11〜12節

11 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に⼊ったころよりも、救いは近づいているからです。
12 夜は更け、⽇は近づいた。だから、闇の⾏いを脱ぎ捨てて光の武具を⾝に着けましょう。


 パウロは主が再びやってくる救済のときが近づいている、と⾔っています。
「夜は更け、⽇は近づいた。」というのは、今は夜のような暗闇の中であるけれど、明るい⽇差しを近づいている、主の到来は近い、その⽅向に時(とき)は動いている、というのです。⽇々同じことが繰り返えされているという経験をしている私たちにとって、何か想定を超えたことが起こるということは考えにくい。
実際、パウロの時代においても、いつになっても救いが来そうにないということで失望感をもった⼈々もいたことと思います。
 しかし、同じことを繰り返しているように感じられる⽇々について、本当にただの繰り返しなのだろうか、ということを考えてみましょう。確かに、限定された条件下では、原因があってその後結果が出ることを確認することは可能であり、サイエンスにおける法則が導かれ、その法則から技術も⽣まれてきました。
 でも、過去の原因が未来に結果を与えるということについて歴史となるとそう簡単ではありません。まず、A という出来事が起こって次にB という出来事が起こったとする。A が原因でB がその結果であることを確かめるためには、A で起こったことを少し変えてみる。その結果B も変わるということなら、AはB の原因ということになる。しかしA は過去のことなのでそれに⼿を加えることはできない。つまり過去から現在への歴史の因果関係を確認することは厳密には不可能。ましてや将来の出来事は全く経験すらしていない。そう考える時間の経過に沿って将来起こることを想定することは怪しくなってきます。
 そう考えると、「夜は更け、⽇は近づいた。光の武具を⾝につけよ。光の⺠として⽣きる準備をせよ。」という勧めが現実的、つまり私たちが想定できないことの可能性が開かれているということになります。私たちの⼼が未来の「救いの時」に向けられているならば、その未来から現実を⾒ることで、現在において「救いの時」の兆しを⾒出すことができる。そうすると希望が⽣まれ、現実に関与する勇気と知恵が与えられる。これがパウロの勧めであると思うのです。
 実は最近の歴史を扱うサイエンス(宇宙論、分⼦進化論など)では、厳密な因果関係よりも「ストーリー」構築に重点をおいています。

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