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A. キリスト教での「救い」とは、それぞれの人が置かれた状況がもたらす苦しみや思いわずらいからの解き放ちを意味します。イエス・キリストが示した救いは、飢えた人には満足を、病んでいる人には癒しを、悲しんでいる人には喜びを、そして孤立した人には共同体との結び付きをもたらすことです。救いは、神によって導かれ、大切にされることを実感することであり、どんな人もそのままで神に愛され、自分の存在を肯定できることです。そして、最終的には死をも恐れずに受け入れることができる心の平安をもたらします。これらの多様な形の救いを伝え、実感させてくれるのがキリスト教信仰での「福音」です。
A. 祈りは直接的な願いをたちまちにかなえるものではなく、試験の合格や事故の回避など、具体的な結果を保証するものではありません。戦争や災害の例をみても、祈りが必ずしも犠牲を防ぐわけではないことがわかるでしょう。しかし、祈りは願い事以上のものです。感謝、懺悔、嘆きなど、さまざまな感情を神に伝える手段であり、逆境の中でも神との関係を深めることができます。祈りは、願いがかなうかどうかに関わらず、神が私たちを見捨てないという信仰を強め、孤独や絶望の中で神と対話する機会です。祈りは私たちが神を信じ、どんな状況でも支えを見出させてくれるものです。
A. 私たちは、聖書と進化論は必ずしも矛盾しないという立場を取ります。人間が神によって造られたという聖書の物語は、物事のとらえ方として有益であり、人間の尊厳と価値を教えています。一方で、進化論は科学的な視点から人間の起源を仮説として説明しており、両者はそれぞれ異なる視点から重要なメッセージを与えています。聖書の教えは、人間とこの世界が神によって造られたという神秘を伝え、進化論はそのプロセスを科学的な視点によってとらえようとします。このように、聖書の物語と進化論は、人間と世界の理解において補完的な関係にあると考えることができます。
災害をただちに天罰と見なす考えは正しくありません。自然現象は神の意志ではなく、自然の法則によるものとも考えます。また天災は、文明が地球環境に与えた悪影響が原因の人災である場合もあります。私たちが信じる神は、困難な時にも力と勇気を与えてくれる存在です。新型コロナを天罰とする考えは科学的根拠に欠け、人々にとっても助けや励ましになりません。真の信仰は、共感をもって人々が互いに支え合うことと考えます。
宗教が戦争の原因であるという考えは単純化されすぎています。実際には、宗教よりも領土争い、資源の奪い合い、イデオロギーの対立などが戦争の主な原因です。現代では、宗教に基づく対立よりも地理的及び政治的な理由が大国間の争いの背景にあることが多いです。また、宗教が戦争を引き起こすという固定的な観念は、教育やマスコミによって喧伝(けんでん)されていますが、実際には世界的で伝統的な宗教が平和を促進し、他の宗教や信仰を持たない人々との共存、つまり互いが重んじている事柄を尊重し合えるよう目指しています。宗教の本質を理解し、一方的な見解や誤解を解くことが重要です。
Q. キリスト教の教会は、強引な勧誘やマインドコントロールのような行為はしないのでしょうか?
宗教やキリスト教に対する一般的な懸念については、確かに宗教活動の中に強引な勧誘やマインドコントロールを思い浮かべる場合があります。高額な献金を強要したり、偏った思想を植え付けたりする団体も残念ながら見受けられます。しかし、本来のキリスト教の教会では強引な勧誘やマインドコントロールはいたしません。宗教が人々に与えるものは、生き方の指針や精神的な安定、生きる意味の発見など、人間を人間とさせている魂に関わる非常に価値のあるものです。自分が本当に信じられるものを見つけ、それに基づいて生きることが大事です。もし、何かがおかしいと感じたら、その宗教団体から離れる自由が私たちにはあります。
社会通念上の信用や信頼を重んじるキリスト教会が高額な献金を要求することはなく、日本の教会は一般的に質素です。献金の額は自由に決めることができます。平和や環境を守るため、また災害や戦争などの被害者を支えるための特別な献金もありますが、献金はすべて自由意志に基づく自発的な行いであり、強制されることはありません。
キリスト教会にはLGBTQ+を否定する派と肯定する派が存在しますが、全ての人々が性的指向や性自認に関わらず、神に愛されています。LGBTQ+をめぐる苦しみや誤解は、家族や社会や教会がセクシュアリティを受け入れようとしないことから生じます。セクシュアリティは変えられないものであり、それを強制や圧迫で変えようとする行為は慎むべきです。聖書の解釈は、人間どうしの平等な関係を否定するものではありません。最近では、差別を乗越えLGBTQ+を神の愛された作品として受け入れようとする動きもあります。
Q.なぜ神は人間の悲しみや苦しみを取りのぞかないのでしょうか?
A. キリスト教の理解では、神は全知全能であり、愛そのものです。 聖書によると、私たちは「神のかたち」に似せて造られ、神のように人を愛する能力が与えられています。悲しみや苦しみの中でも、互いに愛し愛されることで立ち上がる力を得ることが、私たちの本質なのです。重要なのは、愛によって苦しみを乗り越え、生きていく力を見出そうとすることです。