東京の近未来

 先日、新宿区大久保を訪れる機会があった。
 大久保といえば、韓流ブームで一躍有名になった。流行を極めていた頃の勢いはなくなったとはいえ、街の雰囲気は異彩を放っている。
 看板で用いられている言語は、今やハングルだけではない。タイ語、ネパール語、ビルマ語、モンゴル語、ベトナム語、ベンガル語などなど。アジア各地からの情報、物資、サービスが集積している感がある。
 表通りには、アジア各国の庶民的な料理を提供する飲食店、ファッション雑貨店、衣料ショップ、食材店、CDショップ、十字架を掲げる教会、伝統的な神社や寺院が並んでいる。
 きっとアジア各国から個人相手のビジネスを東京で始める最初の進出先なのだろう。大久保の街は多文化のモザイク模様を形づくっているように見えた。
 通りを行き交う人々は、日本人やアジア各国からの観光客だけではなく、東京に定住しているとお見受けするアジア地域出身の外国人が多い。わたしが訪れたのは平日の昼間だったから、仕事や業務で大久保を拠点としているのだろう。
 何より、街の匂いが、もはや東京ではない。わたしがかつて過ごしたタイの国際都市、バンコクの街角の匂いに近い。
 大久保の街は、アジアの味や文化に興味のある日本人客をひきつけながら、アジア各国から東京を目指す新来者が集まって来る、そのエネルギーを感じさせてくれる。ここに行くと何かがある、そして、何とかなる。そんな魅力が集積している街になっているのだろう。
 それは、東京の近未来を先取りしている光景なのかもしれない。東京だけでなく日本のあちらこちらに、規模の大小はあっても多言語と多文化のモザイク生活圏が現われていく・・・それが現われてくるのは、ごく近い将来なのではないかと思えた。
 キリスト教会も、もともとは多言語と多文化を土台して、世界各地に広まっていった。日本の諸教会も、この土台に立ち戻れる度量と工夫があれば、地域に根差した次の新しい道が開かれていくのだろう。
 ここに来ると何が新しいものがある。そして、ここに来ると「何とかなる」。それが、キリスト教会が本来受け継いできた魅力であるはずだ。

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