葬儀が続いて

 6月は教会とさまざまな縁があった方々の葬儀が続いた。
 教会員として長く奉仕をされてきた方。教会の礼拝に出席していたわけではないが、実は家庭では若いころから聖書に親しんでいた方。教会員の家族で行事がある度に教会にいらしていた方。葬儀においてそれぞれが地上で歩んだ道をご家族と共に振り返ると、どの歩みも個性に富んでいる。似たような、あるは同じような歩みをした人は、その人のほかだれもいない。
 キリスト教の葬儀は、基本的に家族葬といえるだろう。葬儀の主催者はそのご家族であり、ご家族のご希望に沿って可能な範囲で教会がお手伝いをする、というのが実際だからだ。
 よいお別れ、よい別離を成し遂げる、それができなくては葬儀とはいえない。わたし自身も、感謝と喜びにあふれる葬儀にしたいと願っている。
 参列した方々から「心温まる、励まされる葬儀でした」という言葉がご家族に届くのを知ると、葬儀は人生最後の一大事業となるのだと改めて感じる。しかも備えが可能な一大事業だ。
 遺された人達のために、どのような内容であれしっかりと自分の希望を伝えておく。それは「よい葬儀」と言われるためだけでなく、その日から新しくされて生きていく人達のためになる。
 突然の出来事に、誰もが慌ててしまう。だからこそ、備えうる限りの事前の準備を整えておきたい。

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