ちょっと加える

 体調を整えるためによいといわれる栄養補助食品は、景気に左右されずによく売れているという。
 ゆっくりと食事もできないほど忙しい人はよく利用しているに違いない。近視と乱視が強い私も、目によいといわれているサプリメントを採ることがある。
 実際にどんな効果があるのかは定かではない。しかし、気持ちの上は効いているような安心感は得られる。そこが最も効果的なのだろう。身体の健康を考えれば、何もしないよりもいい。
 多くの人々が栄養補助食品のようなもので自分の身体を気遣っている。普段の食事に「ちょっと加える」。それでプラスアルファの安心感を得られる。
 しかし、自分の魂についてどれだけの人が気遣っているだろうか。その人が人間であることの大事な根拠は、その人の身体だけではない。その人が健やかな人間性を保つためには、その人の魂、その人の霊の状態に普段から配慮がなされなければならないだろう。
 近年、経済や産業の事柄でレアメタル(稀金属類)やレアアース(稀土類)が話題になっている。今まであった素材にごく僅かに加えるだけで、全体の性能や特性をよりよく変化させる作用をもつ物質だ。こうした物素がハイテク産業には欠かせない。
 同じように、ごく僅かであっても「ちょっと加える」その先は、その人の魂や霊であるともいえる。身体にとっての栄養補助食品のように、人間の魂にとって「ちょっと加える」だけで活力と健やかさを取り戻すような補助物素は、ドラッグストアでは買えない。
 日曜日の朝を教会で過ごす。それがその人の魂にとっての補助物素のようになる。
 80年間欠かさず毎日曜日に教会の礼拝に出席したとしても、教会で過ごすトータルの時間は、その人が歩む全生涯の全時間の1%にも満たない。しかし、この1%にも達しないごく僅かな短い時間があるかないかで、その人の全生涯の歴史と意味が定まるといっても過言ではない。個人の事柄に留まらず、その人と近しく生きた人のその後の歩みにも大きな影響を及ぼす。
 教会は、人間の地上での歩みに「ちょっとだけ加える」ためにあるようなものだろう。
 「教会での時間」がほんの少しでも加えられると、その人は、その人の魂は、何かが違う歩みが始まっていく。その人の全体は、過去となった出来事も、現在の現実も、未来への展望にも、何かが健やかに整えられていく。
 その人だけが持ちうる特性や個性をより確かに輝かせていく・・・。これは教会において私が現に目にしていることに他ならない。

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