怖ぇえ!

 「ギィーィ」。教会堂の玄関の扉を開け閉めするときしむ音が出る。けっこう周りに響く。

 会堂に入って扉がちょうど閉まろとしていたとき、ちょうど小学校1~2年生くらい児童が3人通りかかった。近くの小学校からの家に帰る途中にちがいない。

 夕闇が迫るなか「ギィィ」と鳴るや、男の子が扉を向いて大きな声を挙げた。「怖ぇえ!」

 一緒にいた女の子は、「ここは教会よ」と応えて、怖がることはないといった口調。ところが間髪を入れずに「でも、夜なると怖いけどね」と声を掛けあっていた。会堂の窓、暗闇にうっすらと浮かぶステンドグラスの絵柄が、夜になると子どもの目にはきっと「こわく」見えるのだろう。

 何とも不思議な気持ちになった。残念なような、うれしいような・・・。

 教会が「怖いところ」だと近隣の子どもに思われているのだとすれば、その誤解を解いてあげたいと教会人なら当然思うだろう。「教会学校へ来てね」と伝えることもできるだろう。

 しかし、繁華街から少し外れた住宅地にある教会が、ある種の「こわさ」、願わくは「健やかなおそれ」をもって見られているのであれば、それはそれでいいのではないか。

 教会は、神への畏れをもって主日礼拝を守るところである。その畏れは、世にあって人間を恐れさせている諸力からの解き放ちへと向わせてくれる。人が神への畏れを意図的に軽減させようとすると、そこにはどこか軽くて薄っぺらいものが漂ってしまうだろう。

 扉越しに聞こえてくる子どもたちのやり取りを聞いて、うれしくもなった。「ここは教会よ」と知っている子どもが近隣にいる。あの子どもたちは教会学校に来たことはない。しかし、教会は怖いところではないとその子どもはわかっている。

 「夜になると怖いけどね」はまた別の話になるだろう。暗い夜道はどこでも要注意だ。

 教会学校に出入りする子どもたち。クリスマスを迎える教会。何より、毎週日曜日の午前中から正午過ぎにかけて、少なくない人々が健やかな笑顔で教会の扉を出入りしている。そうした日曜日の教会が映し出す様子は、近隣の人たちや通りを行き交う人たちから、いつもじっくりと見られているのだ。

 神への畏れを抱いている群れが、喜びと躍動をもって、教会からそれぞれの持ち場に遣わされていく。地域に見せるそうした姿は、「怖ぇえ!」ではなく、「教会の人たちはいいなぁ」ときっと受け止められていくはずだ。

 ちなみに、駅近くの商店街から入って教会の前を通るこの路地は、地域の人たちから「教会通り」と呼ばれている。教会が怖いところであるがゆえにそう呼ばれている、はずはない。

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