山の上から

 先日、東京の山、山梨県との県境にある七ツ石山(1,757m)に登ってきた。

 山頂に至る登山道では、不思議な形で成長し続ける霜柱が地面から伸びていた。猿の親子が冬枯れの木の枝をかじっていた。私が通り過ぎるのを待っていたかのように、上の斜面から小さな石が何度か登山道に転がり落ちてきた。長く伸びている霜柱が石を蹴落としているに違いない。途中の水場は凍っておらず、期待していた通りにおいしい清水をたくさん飲むこともできた。

 山頂に近づくにつれて凍結している場所が増えてくる。日中でも気温は氷点下だ。尾根に出ると道は雪で覆われていた。10日以上前に積もった雪が20センチ前後の高さで溶けずに固まっている。事前の情報通りなので慌てたりはしなかったが、雪のない道を歩くのとは勝手がちがう。急な斜面でもないところでも転倒して予期せぬ大ケガを負う恐れはある。滑り止めをうまく活用して頂上まではあと一息・・・。

 山頂は雲一つない快晴。雪で覆われた頂上は輝いていた。東は都内や三浦半島、西は南アルプス連山までよく見渡せる。何も言うことがないほどの絶景があった。とはいえ、頂上は北風が強く、体感温度は氷点下10度以下だろう。ここでの昼食はあきらめて、少し下ったところにある日当たりのよい小屋のベンチを借りた。

 奥多摩地域の山登りはかれこれ12年ほど続けているが、毎回新しい発見がある。今回のコースも、夏と秋に二度ほど通ったことがあるが、「こんな場所あったかな」と気付かされるところがあった。切り立った崖が登山道の脇数メートル先にある。遠くまで見通せる尾根がある。木の葉がないぶん、空が広く見え、目にする風景も以前の記憶とはまったく別のものとなる。

 想像すらできはいような力によって起こっている現実。食べ物を求めて寒さ厳しい山中を必死にさまよう動物たち。予期せぬ落石でその場でしばし立ち往生。気が付けば足元をすくわれかねない凍った雪の道。凍てつくような風に吹かれる山頂。思わぬところに現れて吸い込まれて落ちていってしまいそうになる崖・・・。それは、東京の姿、世にある現実と重なるではないか。

 東京の街からこのあたりの山々を眺めることはできるが、その山の道が雪に覆われて凍っているのには気付かない。多くの人は東京にもこのような場所があるのを知らないだろう。

 実際に足を踏み入れた人にしかわからない現実がある。実際に行ったことがあってもその時はまったく目に入ってこないものがある。地面をよく観察しないと見えない不思議なものもある。見上げてみないとわからない怖さがある。確かなことは、そこには厳しい現実がある、ということだ。

 冷静に考えてみると、そうした現実はあまりにも過酷で、とても非情で、容赦ないものを人に突きつける。その人の生死にかかわることにすらなる。都心部で忙しい日々を過ごしていては、こうした現実は逆に気付きにくく、目に入ってこないかもしれない。

 東京にある山の上から見た都心と厳しい冬の山々・・・。今回の山登りは、むしろ、東京にある人間の現実を鋭く教えられた。

 しかし、そうした恐るべき現実に囲まれていたとしても、行くべき所にたどり着けば、命をつなぐ清水が豊かに湧き流れ出ている。心落ち着いて座るところがある。教会とは、そういう場所として「ある」のではないだろうか。

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