初めての方へ

伊藤英志
主任牧師 伊藤英志(いとう ふさし)
1966年東京生まれ。小3から高3まで仙台で過ごす。東北学院高等学校を経て、国際基督教大学(ICU)へ進学。ICU教会において洗礼を受ける。ICU卒業後、タイ・キリスト教団立パヤップ大学(在チェンマイ市)で日本語講師を勤め、帰国後ICU大学院にて行政学を学ぶ。アジア医師連絡協議会(現 NPO法人AMDA)にて海外の保健・医療プロジェクトに携わった後、財団法人平和・安全保障研究所にて研究員に従事。2006年に東京神学大学・大学院を卒業、日本基督教団富士見町教会伝道師・副牧師を経て、三軒茶屋教会へ。

キリスト教会は、いわゆる真面目で品行方正に生きているように見える人々や信心深い敬虔な人々だけが集まる場所ではありません。

つい自分を中心にして物事を考えてしまう。自分の信仰はそんなにも弱い。今日も悔いの残ることをしてしまった。それが、実際に教会に属している方々の率直な日々の思いです。『善を行う者はいない。正しい人はいない。ひとりもいない』と聖書が告げているとおりです。

教会に結びついている人々は、神の子イエス・キリストを十字架につけてしまったような人間の真実なる姿―罪深い姿を正直に認めています。しかし、それでもなお赦されつつ生きる、ただ恵みによって生きる者たちとされていると信じます。ここに喜びが与えられ、賛美と感謝の祈りによって日々を生きていくのです。

その先にあるのは、この世で引き起こされる出来事により揺らぐことのない確かな希望です。

教会の礼拝は、何かを強要したり、洗脳したりすることはありません。私たちは自由を重んじます。神の言葉によって支えられて押し出されていく真の自由、解き放たれた魂に私たちは生きているのです。

そのようにしてこの地上を生きている人々の姿と、この教会で出会ってください。そして、何よりも、あなたを今も見つめておられるお方、主イエス・キリストと出会ってください。日曜日の礼拝へのご出席をお待ちしています。

高校生・大学生の方へ

高校生向けには、日曜日の朝9時30分から行われる教会学校中高科があります。礼拝とそれに続いて懇談の時を持ちます。また高校生でも日曜日朝10時30分からの主日礼拝に出席することができます。大学生は朝10時30分からの主日礼拝への出席をお勧めします。礼拝の説教は、高校生にも分かるよう配慮されています。

勉学や部活動などで多くの時間を過ごすからこそ、ひとりなって神と向き合い、自分自身を取り戻す時間がとても大切です。

ある大学で司法試験の合格を目指して勉強していた若い方がいました。大学卒業後も何年にもわたって勉強し続けていたその人は、教会の礼拝に出席し続けるようになり、それまでとはちがう自分になって熱心に勉強できるようになりました。そして、司法試験に合格して今は弁護士として活躍しています。

日曜日の礼拝に出席することは、人生の全ての時間の中でほんのわずかな時間です。しかし、そのわずかな時間が、その人全体を変えていくものとなります。教会の礼拝は、誰をも拘束しません。むしろ、礼拝によって人は本当の自由を得て、目指すべき方向に向かって力強く歩み出していくのです。

礼拝へのご出席をお待ちしています。


青年社会人の方へ

日曜日の礼拝へぜひご出席ください。教会につながっている方々は、主婦、勤労者、学生、定年退職した方、子育て真っ最中の方、そして子どもたちです。教会では、年齢、性別、過去の経歴、出身地などは、重要な話題ではありません。そうした話題は「世間」が知りたがるものです。

日曜日の礼拝は、時にわずらわしい世間と自分自身をとりまく様々な現実からいったん離れて、一人の人間としての自分にもう一度向き直る時となります。自分自身の魂は今どうなっているのかを知らされる時となります。そして、再び立ち上がって、行くべき場所、なすべきことに向かって改めて歩み出していく者とされます。

このような力は、自分ひとりの力や努力だけで継続的にわきあがってくるものではありません。まず、神の御前に身を正すことから始まります。しかも、礼拝というわずかな時間によって与えられていくものです。

たとえば、80年間、毎週に一度、3時間程をある場所で過ごす。それはとても長い時間に見えるかもしれません。しかし、80年間の全ての時間の中では0.5%にも満たない時間でしかありません。約1時間の日曜日の礼拝が、今、地上を生きている人の霊に光を注ぎ続けます。ごくわずかな時間が、その人の霊を、健やかに養い続ける糧となっていきます。

礼拝は、あらゆる問題や課題を瞬時に解決するような即効性をもつ特効薬ではありませんし、瞬時にある人を別人に変えてしまうようなものではありません。しかし、一人になって神と対話する礼拝において、人は、それぞれの日常生活にある現実の中でこその、生きる意味と生きる目的を示されるのです。